Masumi Dialogue
vol.10

中心から離れて見つめる
小さく、ゆっくり、時間をかけて。

これからの時代に求められる「豊かさ」とは何なのか。さまざまな分野の方との対話を通じて、答えを探っていきます。今回は、数々のレストランや食のプロジェクトをプロデュースしてきた、菊池博文さんへのインタビュー。軽井沢在住で、宮坂とは長野県の食に関わる同志のような存在でもあります。菊池さんのフィールドは主に地方。食のメインストリームからは少し距離をおいて活動する想いは、どこにあるのでしょうか。

菊池博文(きくち・ひろふみ)

岩手県山田町出身。アパレル業界、ホテルで働いたのち、2001年に星野リゾートへ。料飲統括ユニットへ参画後、2016年に独立。現在は「H3 Food Design」として、軽井沢を拠点に日本各地でガストロノミーを起点としたソーシャルデザインを行っている。J.S.A.認定ソムリエ、 調理師免許、フードツーリズムマイスター取得。

スローフードに魅せられて 地方へ住まいと仕事を移す

菊池さんは、僕が出会った頃にはすでに食の世界の人でしたが、もともとは別の分野で働いていたんですよね。食に関わるようになったきっかけは、何だったのですか。

菊池博文さん(以下、菊池):最初に働いたのはアパレル業界で、その後レストランで働くようになりましたが、自分の中で食を再評価できたのは、90年代のスローフード運動の盛り上がりがきっかけです。高級イタリアンレストランで働き始めた頃に、イタリア人のマネージャーが、ミラノに帰るたびにスローフードに位置付けられるような食材を持って帰ってくれて。当時はまだ日本で流通していなかった生ハムの王様「クラテッロ ディ ジベッロ」を「これが一番うまい」と、茹でたアスパラガスと目玉焼きと一緒に食べさせてくれたのを覚えています。

  その後ミラノに行く機会にも恵まれて、イタリアのファッションとスローフードの価値観が自分のなかでかちっとハマったんです。忘れられないのが、ナポリ近郊のワイナリーに遊びに行ったときのこと。みんなで昼から飲んでぶどう畑に寝転んで昼寝したんです。着ていた高いシャツの背中が草木染めみたいになっちゃったんだけど(笑)、あの幸福感は特別だったなあ。

 それから、東京のレストランでワインを開けているのに違和感を覚えるようになってしまったんです。スローフードってスローライフのことだよなと思って、都会からちょっと離れようかと。それでたまたま、ウェディングの仕事を紹介されて、軽井沢に行くことにしたんです。

それから今に至るまで、軽井沢で暮らしているんですね。

菊池:はい。そのとき転職した星野リゾートからは独立しましたが、住まいは移さず、長野暮らしは20年以上続いています。 僕にとって大きなできごとがもうひとつあって。僕の出身地である岩手県の沿岸部が東日本大震災の津波で大きな被害を受けて、実家も全壊して、親戚や友人も亡くなった。何かを……背負った感じがありました。

 当時は、星野リゾートで食や地域の魅力で観光を盛り上げようとしていたけれど、そういう取り組みが、完全に東北に必要になりました。自分のエネルギーは三陸に向けるべきだと思って、タイミングをみて独立しました。

仕事のモットーは「三方よし」

菊池:僕の立ち位置については、コンサル、プロデューサー、コーディネーター……いろいろな呼び方をされますが、ただただ人々を感動させたいと、プレッシャーと自問自答しながら必死にやってきました。

 2018年に立ち上げた合同会社の社名にある「H3」のHには、happyとかhelthyとか健やかな言葉が多いでしょう。3は「三方よし」の意味で、レストランやホテルの食を提供する側と、消費者、生産の現場がみんな支え合わなくちゃと思っています。

 起業して最初に岩手県庁の仕事にいくつか関わりした。あとは、岩手県と同じ三陸沿岸沿いにあるの宮城県石巻市で開催された、小林武史さんプロデュースのアートフェスティバル『Reborn-Art Festival』に立ち上げから関わりました。

菊池さんの会社には、ホームページがないけど、どうやって仕事は依頼されるのでしょうか。

菊池:そう、フェイスブックだけ(笑)。宮坂さんもそうですが、付き合いが長い人たちが、繋いでくれるんです。東京とか華やかなところからは声はかかりませんね。「あの人は都会の仕事はやらなさそう」というイメージは、ブランド化されています(笑)。

菊池さん以外には、どんなメンバーでチームを組んでいるのですか

菊池:会社設立当初から今も変わらず、個人事業主さんと一緒にやるユニットにしています。拠点は持たずにメンバーとはオンラインでやりとりしながら続けてきました。専門性が高い人が、ケースバイケースで集まって、広報、料理、建築などの分野の仲間がタッグを組む。今は3人のスペシャリストと共に稼働しています。

地方から海外へ 魅力は都会を経ずに伝える

最近のお仕事について教えてください。

菊池:2022年に滋賀県長浜市にあるSOWERというレストランのオープンに際し、チームづくりから関わりました。デザインや建築の力といった、料理以外の要素にも力を入れたプロジェクトです。ありがたいことに、今とても賑わっていて、滋賀県の中心からは離れた湖北地方に、わざわざ人がたくさんやって来ています。

 もともと少し離れたところには、徳山鮓という有名な宿と鮒鮨の懐石で有名な湖里庵がありました。琵琶湖を中心にした日本の発酵の拠点に、新しい魅力が加わり線で繋がりました。発酵食を巡る湖北の旅ができることをデザインの力でより魅力的に、アジアの若い人たちにもアピールできています。

 大事なのは、地方に魅力的なレストランを増やしていくこと。そのときに戦略的に場所を選んでいくんです。その流れでいえば、 福井の越前市で、もうひとつ新しいレストランをプロデュース中ですが、ここもSOWERや徳山鮓から1時間かからないくらいの場所にあります。

 食のシーンを見てきて思うのは、ローカルのプロダクトやブランドが東京経由で海外に行く必要はないということ。ダイレクトにグローバルな動きをしたいというのが、私のなかでは1番大きいかもしれません。

地元を盛り上げたい その想いを背負っていく

僕たちも長野県の諏訪で酒造りをしていて、今、海外にもたくさんのお客様がいます。菊池さんの想いに共感しますね。菊池さんが関わるレストランなら行ってみたいとも思います。今後の予定も教えてください。

菊池:今は、3軒の立ち上げに同時進行で関わっています。長野県の大町と軽井沢、それから福井ですね。

 大町にある事業者さんは、街の活性化のために昭和の建物を買い取って、そこを人の集まる場所にしたい、と。 1階はレストランで、2階、3階はホテルになります。アメリカ出身のオーナーなので、僕があまり経験がない新しいアメリカンダイナーで、「タコスってこんなにうまいんだ」とか発見や学びがあります。

 オーナーの夢を一緒に背負う覚悟で取り組むのでプレッシャーもまた大きいです。事業を続けていく意思をしっかり持っているクライアントやオーナーとの仕事になるので、僕の方でも、現段階で10年ぐらいはちゃんと続けられるようなコンセプトやスタイルを提案します。

 最後まで責任を持ちたい、というのも強く思っていることです。自治体と仕事をすると3年区切りだったりするけれど、3年ってすごく短い。レストランひとつつくるにも、シェフをはじめ、関係者は転職にとどまらず移住してくることも多いんです。いつも、家族の人生がかかわってくる。その責任を感じています。

 料理についても、地域の旬の食材を使うとしたら、試行錯誤でやってみて、その食材をもう1回調理できるのは、1年後。レストランの評価は、早くても3年くらいは絶対かかるというのは、この仕事を続けてきて思うことです。

 オーナーの想いを背負って、スタッフの生活にも責任を持って、そのうえで、ステレオタイプのお店をつくらない 。そもそもお店は必要かまで立ち返って考えるのが出発点です。

 何かを生み出すとき、本当に必要かという問いは大事ですよね。

菊池:そう思います。ただ食べる場所だと考えれば、もう不足はない。オーナーと話し合いパーパスをしっかり設定してプロジェクトを始動します。

 地方で長く続いている事業者さんのパーパスは、やっぱりその地域の発展に貢献すること。「そのベクトルと今ガストロノミーが向けるべきベクトルって実は一緒ですよ」と説明すると、すごく理解の加速度が上がりますね。

 福井の例でいったら、『だったら100年後にレストランがなくなっても、自然に戻る素材でつくりませんか』、『なるべく地元の素材で建てよう』など、スムーズに方向性を共有して進めています。

豊かさを体現する 地方のガストロノミーレストラン

これからの時代に必要な本当の豊かさをレストランというかたちで体現していくのが菊池さんの仕事だと思います。僕たちも刺激をもらいながら、今後の真澄がつくっていくべきものも考えていきたいです。

菊池:すごく手間はかかりますよね。レストランでいえば、東京で流行ってるものを持ってくるんじゃなくて、その土地にある食材から建材に至るまで、いろいろ見た上でつくっていくわけだから、金太郎飴みたいにはいかないです。

 僕が働き出してからの30数年、狭い日本という国の中だけでも豊かさの概念や求めるものが変化していると思います。

 以前、金融危機がユーロであった時に、デフォルトの危機がイタリアとスペインにも来ているとか、地中海的な暮らしがのんびりしていて生産性が低いみたいなことを、経済誌なんかではよく言われていました。だけど、僕が知っているイタリアの地方の人たちはそういうこと気にしているだろうか。きっと、あのおいしいパニーニやパスタ、オリーブオイルだって、全部変わらぬ味で、幸福度は高いんだろうなと、よく考えていました。

 長野に暮らしてからも長いですが、宮坂さん含め、周りでものづくりをしている人たちと話すことも10年20年、あまり変わってないなあと思うんです。

 変わったのは、単純に豊かさの「定義」みたいなことだけで、豊かさは実はずっと変わっていない。成長がゆっくりであるとか、時間をかけて育てるとか、時間をかけて発酵するとか……。結局、そういうことが豊かさの集約じゃないですか。レストランをつくるときに、工芸を生業にする人と仕事をするときも、時間をかけて培ってきたものから醸し出されるデザインが、すごく素敵だと感じます。

 情報化だったり、ハイスペックだったり、数字で優劣がつくことにあまりにも影響されていると、本当の豊かさをどんどん忘れていく。地域との関わり方によって、豊かさの定義はそれぞれで良い、そんな時代だと思います。暮らす場所や仕事の種類によって、影響が全然違うだろうという気がしていて。ヒューマンスケールの距離感にこそ豊かさが残っている実感があって、地方のレストランにこだわる理由もそんなところにあります。

SOWER

滋賀県長浜市西浅井町大浦2064 営業時間:17:30〜 定休日:火・水曜日 ※変更の場合あり

「SOWER」で新たな「KOHOKU」キュイジーヌを創るのはシェフのコールマン・グリフィン。米国のレストランで得た本質的な料理の手法と「INUA」で培った食への冒険的なアプローチに、滋賀の風土が生んだ食材を組み合わせた、心地よい驚きの食体験をゲストに提供しています。

https://restaurantsower.com/

聞き手:宮坂勝彦(宮坂醸造)
写真:土屋誠
構成:小野民

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