Masumi Dialogue
vol.15
根底にあるのは自然医学と民藝の心
生まれ育った土地で、身体が喜ぶ料理をつくる
これからの時代に求められる「豊かさ」とは何なのか。さまざまな分野の方との対話を通じて、答えを探っていきます。今回は長野県佐久市で料理店を営む北沢正和さんを訪ねました。ロケーションは、山の間に田畑が広がるのどかな場所。ここで生まれ育ち、ずっとこの地で暮らしてきた北沢さんは、ローカルに根ざして料理をつくり続けてきました。そんな彼のもとに、今では世界有数のシェフが教えを求めてやってくるようになりました。その理由は、彼の根っこが料理の技巧に依っていないからかもしれません。唯一無二の道をいく、料理人の心持ちを聞きました。
北沢正和(きたざわ・まさかず)
1949年、長野県生まれ。公務員から料理の世界へ入り、1992年に「職人館」を開館。地場産食材と職人の技を融合した農家レストランの草分けとして、全国の農家レストランの企画受託、講演、執筆等、幅広く展開。2010年農林水産省第一回「料理マスターズ」で全国7人の料理人受賞の一人に選ばれる。現在は、(株)しなの文化研究所代表としても精力的に活動中。
キャリアの始まりは公務員
大きな仕事の先で気づいたこと
北沢さんのお料理を食べると、それぞれが滋味深いなあと感動します。奇をてらっていないからこそ、心に響くというか…、ここに僕が考える豊かさのヒントもあると感じているんです。北沢さんは、あちこちに呼ばれて出張に行くことはあっても、この場所で生まれて70数年間暮らし続けているんですよね。子どもの頃はどんな生活をしていたのですか。たしかに、自然医学や民藝の学びと公務員の仕事は、結びつきにくいです。
北沢正和さん(以下、北沢)
:祖父が材木商で、村長もやっていたし、趣味人でした。俺も華道や茶道を叩き込まれたしね。木の良し悪しとか森のこともたくさん教わりました。夏には大磯の別邸に遊びに行かせてもらっていたから、豊かな暮らしをしていたと思います。そうそう、職人館になっているこの建物も、もとは祖父の隠居小屋のような場所だったんです。何十年も放置されていた場所を、直して使っています。
自然を身近に感じて育ったから、俺の根底にあるのは、自然医学と民藝なんだよね。自然医学は、森下啓一先生が提唱した学問です。食べるもので健康に生きたり、いろいろな難病を食で治したりするための勉強を、20歳前後では一生懸命していたの。それからもう一つは、柳宗悦の民藝美論を勉強していたんだけど…、なんでか間違って、役所に入っちゃった(笑)。
たしかに、自然医学や民藝の学びと公務員の仕事は、結びつきにくいです。たしかに、自然医学や民藝の学びと公務員の仕事は、結びつきにくいです。
北沢:役所の仕事もやりがいはあったんですよ。観光と開発の仕事を担当していました。思い出のひとつは、1970年代、25歳くらいだったかな。全国初だったんじゃないかと思うけれど、方言を印刷した観光ポスターをつくったんです。普段着の地元の人たちが並んでいる写真で「来たらおよりなんし」って書いてあるの。今は珍しくないけど、当時は前例がなかったし、周りとバチバチやりあって実現させたんだよ。
分野は違うけど、北沢さんらしい発想は、今に通じるところがある気がします。開発では、どんな仕事に関わったのですか。
北沢:スキー場、ゴルフ場、工業団地、いろいろつくったよ。大規模開発だから反対者も必ずいるんだけど、なんでか俺は許可を取り付けるのがうまかった。
役所の仕事も充実していたのに、新しい道に進もうと思ったのはなぜですか。
北沢:役所には20年くらい勤めて、転機は40歳の時でした。1980年代になって、日本の手仕事の職人がどんどん少なくなっていった時代です。学校でいい成績をとって、都市に出て就職する方向がよしとされる風潮になっていくタイミングでもありました。
その頃、地湧社という出版社から、月刊誌に連載をしてくれないかと依頼があって、伝統的な手仕事の職人を訪ねてインタビューする連載を何年かしたんだよね。写真も撮って文も全部自分で書いて。役所の仕事をしながら土日に取材する生活を何年か続けました。
伝統的な手仕事の職人たちの世界は、小規模で、自立して、高品質なものをつくることで成り立っている。そういう仕事の数々を見ているうちに、自分の仕事に疑問を感じるようになりました。やっていることの規模は大きいかもしれないけれど、自分の内面からの仕事じゃなく、組織の一員としての仕事。自分で何か具体的につくってるわけじゃないと虚しくなってしまったんです。40歳になったし、自分でも、なにかつくりたいと思ったんだよね。子どもが小学五年生と一年生だったなあ。具体的に何をやるかも決めてなかったけれど、俺は崖っぷちに立ったほうがいいんじゃないかと思って。年末を区切りに、役所を退職したんです。
全国をふらふら巡って再確認した
地元の自然がくれる恵みの豊かさ
当時は、周りから止められたのではないですか。
北沢:今では転職は珍しくないけど、30年以上前のことだからね。役所にせっかく入ったのに辞めちゃって、変人だと思われたみたい(笑)。
そんなとき、「いくらか参考になるかもしれないよ」と呼んでくれたのが、ご縁のあった湯布院の「亀の井別荘」の中谷健太郎さん。湯布院にしばらくいて、料理の提供の仕方も、地域づくりについても、いろいろなことをふらふら見せてもらいました。
あちこちで人に恵まれてね。石川県の山中温泉にも行ったりしましたよ。そこには山菜料理の名人がいた。そういうふうに図らずも、さまざまな人から学ばせてもらいました。
でも、習ったというのとは違うかな。料理は全部独学です。小さい頃から、自然のなかで経験してきたことが生きていると思う。料理を見ていて、「こういうことかな」と勘が働くのは、自分に自然の経験則があるからでしょう。
職人館は、料理はもちろん、建物の風合いや調度品も素敵です。ここには北沢さんの民藝への造詣が生かされているのだと感じます。
北沢:この建物は、40年くらいは空き家になっていたんです。店を始めるに際して、新しく使う木は自分で全部見立てて、設えも特注で頼んでつくりました。
今思えば、やっていたことはいわゆるプロデューサーだな。職人が思いもつかないアイデアを言うと、「素人はこれだから困るよ」なんて言われるんだけど、つくってみたら案外よかったりしてね。職人たちが、その後の仕事の参考にしてくれたこともありました。
5ヶ月くらい滞在して、漆喰で壁を仕上げた職人もいたし、いろいろな人が関わってなかなか楽しかったよ。
皿の上だけじゃない
地域を食べる料理をつくるために
手仕事の職人に憧れ、自身もプロデューサー的な役割を担った経験をお聞きすると、そういったものづくりを仕事にする道もあった気がします。「料理」だったのはなぜでしょうか。
北沢:いくら民藝の素晴らしいつくり手の器だとしても、そこに盛って食べるものが健康的じゃなくちゃどうしようもない。実際に残念な例も見てきて、そうじゃないものをやりたい想いが強かったんです。
「料理」には、実際に口に入れるものだけじゃなくて、皿も、さらには地域の空間全体も含まれていると思う。そのためには、地域が健全であることも大事です。
居心地がいい地域って、今でいえばSDGsってこと。そんな言葉がなかったときから、いい地域は持続可能な方法で成り立ってきたはず。佐久にも移住者も増えているけれど、自立と共生がまず大事だと感じています。それぞれが高品質のものをつくって、小規模で自立して。自立した人たちが共生して多様な仕事をやっていたら、いいんじゃないかな。たまには、みんなで一緒に共同してさ。それが地域ってもの。
大規模に集約するんじゃなくて、みんなが自分のスタイルでやったらいい。一気に何かが変わることはないかもしれないけれど、長続きはすると思うよ。
職人館だってもう30年以上続いている。でも、始めた当時はバブルなのに質素な地元の素材を使った料理ときた。トリュフやフォアグラの時代だったから、周りには全然理解されませんでした。今は時代の流れも変わったけどね。今度は、地域の山が危機に瀕している。
今、食材を恵んでくれる身の回りの山だけなく、出張先で、全国各地の山を見てまわるようにしているんですよ。そうすると、どこも荒れ放題。自然の一番の原点は山だけど、その部分をないがしろにしているから、俺が住んでいる地域でさえ少しの雨で濁流が流れてくる。それは、山の手入れをしない、木を使わないから起こること。そうやって濁流が注ぎ込むことから、海の環境にも影響が及んでいます。
料理の真価は
見えないところに隠れている
北沢さんの料理の根底には自然医学があるから、一般的な「おいしい」の基準とは一味違いそうです。
北沢:究極の料理人は、風土だと思っているからね。風土がおいしくしてくれたものに、なるべく手を入れないでそのまま食べるのが一番いいんじゃないかな。
それに、皿の上から、自分がやった跡をなるべく消しておいた方がいい。 これ、何の仕事でも同じだな。その方が触れる人、食べる人にとっても心地いいはず。我々は、この世において、土が恵んでくれたものを食べて、わずかばかり生きて、またすぐ土に戻っていくんだから。
村の人たちはいろんなものをつくってくれるし、山から採取したものも食べるけれど、食材がよければ俺みたいな料理人がいらないことは痛感している。だから、料理人のいらない料理を目指したいよね。
自然医学の視点から見ると、体に悪いものをつくっている料理が多いんだ。野菜は皮をむいて、細かく包丁を入れて、水にさらして栄養を全部出しちゃって。それでまた味つけをし直して、飾り立てたりするようなことをしている。
俺は、そうじゃねえと思うんだな。何を食べたかちゃんとわかるものをつくって、目に見えないところに一番気を遣わなくちゃいけないと思うの。ほら、昔から伊達男の着物は裏地が美しかったでしょう。そういうことだよ。
料理でいえば、着物の裏地に当たるのは、塩、味噌、醤油、それから油。料理に入れてしまえばわからないものこそ、納得のいく、いいものを使うようにしています。
北沢さん個人や職人館として、これからやりたいことなどはありますか。
北沢:なにもないねえ(笑)。人の命なんて、明日どうなるかわからないもの。大それたことじゃなくても、今日こうやって宮坂さんと話せて、楽しくてありがたいじゃない。そうそう、「楽しみ儲け」って言葉があるんだと教えてもらったことがあります。俺はお金には縁のない人生だけど、これはできているかな。
75歳を過ぎて、普段は医者知らずだけど、今、肩を骨折しているから、まずはちゃんと治したい。健康で自由に動けて、滋味深いものを食べられる。これほど幸せなことはないと実感しているところです。
職人館
長野県佐久市春日3250-3
TEL:026-752-2010
11:30〜15:00(17時から御予約のみ)
水・木曜定休(祝日、GWは営業)
聞き手:宮坂勝彦(宮坂醸造)
写真:土屋誠
構成:小野民