苦難の時代

江戸末期から大正時代までの真澄は全くの貧乏酒屋で、一家で内職をしたり茶葉を商ったりして生計を立てていました。
明治の一時期には借金の形に酒蔵を差し押さえられる悲哀も味わいました。

大正中期、家運の再興に粉骨砕身した曽祖父が過労と暴飲に倒れると、残された子供たちは酒屋の廃業を検討。
結局「家庭円満に役立つ酒を造ろう」と決断して、以後奥様方でも飲みやすい「上品な甘口酒」が真澄のモットーとなりました。

大黒柱を失った酒蔵は火の車。家業を継いだ宮坂勝(現社長の祖父)は生き残るためには「日本一の美酒を醸す他なし」と意を固め、当時20代半ばだった若者を杜氏に抜擢。

ここから宮坂勝と窪田千里の二人三脚が始まります。

(文 宮坂直孝)